2011-04-22 [長年日記]

_ 「貫徹」することへの拘り

タイトルは少々変な日本語になってしまったが、物事「やりつくす」事が大切だなと思ったのである。

映画「エンジェル ウォーズ」吹替版をチネチッタで鑑賞した。>公式サイト(重いです)

この映画のチケットを入手したのも震災のおかげなのだが、経緯を書くと長くなるので割愛する。

要はこの作品を「ぜひ見たい!」と思って前売り券を入手したわけでないということ。

この作品がどういう狙いで作られたのか?

どういうキャストが出演しているか?

「全く」と言っていいくらい知らない状態であったわけである。

いざ、公開日になってみると洋画なのに多くの映画館で吹替版を上映していて、字幕版が少ないのである。

私の行動範囲内ではクランベリーモールにある109シナマズにてIMAXで字幕版を上映しているくらいだ。

なぜだろう?

さて、この作品は「荒唐無稽」ということに徹しているのである。

「荒唐無稽」を貫徹し拘ったことが成功だと思う。

私は映画を観て単純に楽しめば良いのだが、つい矛盾点をツッコミたくなる性分である。

しかし、「荒唐無稽」な映画作品もここまで思い切ってやってくれると、矛盾点なんか探す気にもならなかった。

また製作者も「感動させよう」などとも思ってもいない事であろう。

そういう感覚では、タランティーノ作品の「デス・プルーフ」やロバート・ロドリゲス作品の「プラネット・テラー」などにも通ずる気がする。

さらに興味深かったのは、この作品は銃をぶっ放しまくり、刃物で相手をぶった切りしまくる。

しかし、その相手が人間の様で居て実は人間ではない者(物)達であること。

さらに、人間が撃たれてたとしても、刃物で刺されたりしても流血しないのである。

服に血痕が付くくらいの出血量に留まっているのだ。

だからこの作品にはR指定やPG12指定が一切かかっていない。

同じ戦闘(格闘)シーンを相手が生身の人間という設定だったら、なんらかの制限がついたのではないだろうか?

プロデューサーの意図が当たった気がする。

フジテレビ制作の「踊る大捜査戦」の劇場映画版も第1作では青島俊作が刃物で刺され流血し、カーキ色コートを赤く染めた。

第2作でも恩田すみれが銃で撃たれ鮮血が飛び散るシーンがあった。

しかし、第3作では小栗旬演ずる鳥飼誠一がちょこっと顔から出血するくらいに抑えられていた。

1作2作上映当時に比べて、「流血シーンがあるならR指定」などという安易な審査基準にシフトした問題だと思っている。

話しを「エンジェル ウォーズ」に戻そう。

ともかくこの作品はセクシーな女の子5人のアクションが満載である。

ダンサーという設定なので普段着がレオタードだったりもする。

さらに、日本のサブカルチャーの影響をふんだんに受けているとお見受けした。

字幕上映よりも吹替版上映が多かった理由は、ストーリーが「荒唐無稽」過ぎて解りにくくなるのを避けるからなのか?

声優にアニソン界の最強ガールズユニット(なの?)「スフィア」のメンバーを起用しアニメファンの動員を見込んだか?

両方かな?

とりあえず観て損はない作品であるとお奨めする。

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